「五省」 - 語部
「五省」 - 語部
現在の日本国について、いろいろ、議論されています。
「電車の中での大股拡げ」、「法律に反しなければ何をやってもよい」、「自分だけよければよい」という風潮。そして、その結果、ぎすぎすした人間関係が生まれ、お互いに、お互いが、不愉快になっている人が大勢いると思います。
小生、現在、72歳ですが、昔、現役の頃には、勤務先、お取引先など、身の回りに、「単にユニホーム(軍服)が違う」と言うだけで、相互に認識した瞬間に、殺し合いをせざるを得ない状況に置かれた先輩方で生き残った方々が、大勢、居られました。皆さん、修羅場を潜って居られ、彼らの個人的な体験からご覧になると、「平和時に起ること」というのは、彼らの経験したことに較べると、すべて、「瑣末」と言うようにお感じになっておられると感じました。彼らは、とても、たくましい方々で、戦後の日本復興を支えられました。
振り返って考えてみますと、これまでの一生の中で、例えば、「真珠湾の攻撃に行き、戦後も生存されておられた二人の方」にお目に掛かっております。片方は、ゼロ戦、もう一人の方は、九七式艦上攻撃機の乗員でした。とても、素晴らしい方々でしたが、ごく、常識的な、「普通の人」でした。また、いまでも忘れられない素晴らしい上司は、海軍機関学校出身で、某巡洋艦に乗り、(多分、レイテ沖で)アメリカ軍の空襲で乗艦が大破され、機関室にいて大火傷を負った方です。この方は、小生が、この方の直属部下に初めてなったとき、小生は、この方の直属の出先組織のマネジャーになり、したがって、遠隔地におりましたが、海軍方式で、電話で、三分以上は話せませんでした。しかし、小生は、完全に理解されていると感じていました。多分、海軍の教育の成果だと思います。
ところで、第二次大戦中の行動規範は、陸軍は、「精神至上主義」、海軍は、「合理主義」であったと言われています。小生には、リベラリズムと柔軟性を前提にした「合理主義」の方が好みに合っています。もしかすると、JITの精神は「精神至上主義」、TOCの精神は「合理主義」と言えるかも知れません。
今回、「語部」みたいなことですが、皆さんに、お伝えし、考えてみて頂きたいことがあります。それは、自分の行動についてです。自分の行動は、自分が考えて決めることです。他の人は、関係ありません。そして、その結果、他の人の、「自分への評価」が決まります。当たり前のことですよね。
ということで、そのご参考に、下記の資料を添付いたします。
多分、多くの日本人が、この「五省」に従って行動していると思いますが、そのような人が、一人でも多くなれば、それだけ、日本国は、「住みよい、良い国になる」と思います。如何でしょうか。
五省(ごせい)とは、旧大日本帝国海軍の海軍士官養成機関であった広島県江田島の海軍兵学校において、生徒がその日の行ないを反省するために自らへ発していた5つの問いかけのこと。考案者は当時兵学校校長であった松下元少将。今日では帝国海軍の精神を象徴する標語であるかのように語られる事があるが、五省が兵学校校舎に掲げられるようになったのは国内の軍国主義的色合いが濃くなり始めた1932年(昭和7年)からであり、その採用期間は七十余年に及ぶ海軍の歴史の中において、末期の十数年間に過ぎない。むしろ古参の海軍軍人の中には、文語調箇条書きの五省を生徒に唱和させる事に対して、「(リベラリズムと柔軟性を重んじた)帝国海軍の風潮になじまない」として好感を持たない者も少なからず存在した。しかし、太平洋戦争後に日本を占領したアメリカ海軍の幹部が五省の精神に感銘を受けてアナポリス海軍兵学校に英訳文を掲示したほか、日本国内おいても海上自衛隊などで日々の行動を自省する標語として用いられている。
- 一、至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか (真心に反することはなかったか)
- 一、言行に恥づるなかりしか (言葉と行ないに恥ずかしいところはなかったか)
- 一、気力に欠くるなかりしか (気力に欠いてはいなかったか)
- 一、努力に憾(うら)みなかりしか (努力不足ではなかったか)
- 一、不精に亘(わた)るなかりしか (不精になってはいなかったか)
出所 "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%9C%81"